2015年4月5日日曜日

大人の階段のぼっちゃう? 第四段 「身動きは取れない時は」


みなさまこんばんわ。 ヒメゴトブログ第8回

みなさまのアソビメ ヒメでございます。

今宵もそっと皆様のおそばに参ります。

桜咲きましたねぇ。ここらへんは2日が満開でして、近所をお散歩がてらふらっとお花見してました。

桜の時期の空気っていうのは 迷うとか 誘われる みたいなふわふわした空気がありますよね。

お花見でお酒も素敵ですがいろいろ気をつけましょうね^^



さてさて、3月にアップしたかった分をずばーとまとめちゃいます☆


大人の階段のぼっちゃう? 第四段。  「身動きがとれない時は」

前回は出てきたものをそんなふうに癒してあげるか、で外がわからのアプローチがしやすいところからお話させてもらいました。


その中でどうやっても、何をどうしてもうまくいかないこと、なんでこうなるんだ>< と悩むことありますよね。


そうなのです、そこに大きなヒントがあるんです。

今回はそこを見ていきますね。

物事がうまく行かない時に「あの人がこう言ったから」とか、「あの人が私にこんな思いをさせたから」とかありますよね。

約束の時間に来なくて困った、とか、帰るといって帰ってこなくてこなったとか、そういうのとは違いまして、、もっと感情に近いところでね。

「あの人が私に対して嫌な思いをさせたから、私は気分が悪くて本来自分自身の責任でしなければいいけないことができない。」

というかんじ。

「する気持ちがおこらなくなった」というのが近いかな?


結局のところしないを選ぶのも自分であるし、やらない思考をそこに明け渡しちゃうのも自分であるし、やらないとかね、そこに思考をあけわたしちゃうのも自分。
そこに霊的なめぐり合わせもやってくるからさぁ大変。


思考がそこでいっぱいになっているので他に手がつかなくなっても自分がどんなふうにしたいのかが見えなくなっちゃう。

ここで前回少しでてきました「第一原因」ってなのですが、これは私達にとって「親」のような存在でして。

親は子供の成長を見守り、どうしてもうまく行かない時、そこに成長を乗り越えるためのチャンスをくれるのです。


ピンチがあった時、身動きが取れなくなった時ほど動かない、ということがあるほどエネルギーが多くつ使われているわけでして、感覚としてはさほど動いたようには感じられない。



親が子供に成長してほしいと思うことの一つに 「あらゆるものは よろこび に向かおうと動いているんだよ」

をいうのを知るというのがあるの。


嫌な人、嫌なこと、困ったなと思う人からの学びって、「ああ、私は悪くないのに」ということろで固まっちゃうと自分自身で見なくちゃいけない、クリアしないといけない課題がまた同じように着ちゃう。

同じような体験を人がかわってもしちゃうこと、あるんじゃないかな?


いろんな場面から学ぶチャンスがあるわけです。

もったいないですよね、大切な一日を嫌いな人、苦手な人の言った一言で埋め尽くして。

その嫌なことの反芻でなにも手につかない。 何もしない。



そこから沈んだ時こそ何かをつかんで起き上がってくる。

これができるとふと振り返った時に人にも自分にも優しくできます。


自分のめぐりあわせだけでなく、霊的な場面では人それぞれ同じような場面がやってきます。それはそれは、なんで??

というくらい。


それは同じタイプのひ地が何人も来たり、例えは母親がすごく苦手だったのに母そっくりの友達ができたり、そういう旦那様をえらんでしまったり。


そこを繰り返して同じ体験をすることによって学びなさい、というのがあるわけです。


ピンチはチャンスとよくいったもの☆


まずは身の回りのことをコツコツやっていきましょう。

次から次へとやってくる課題の中にきっと一人ひとりのメインテーマが見えてきます。

すべては成長のため、いずれ子供を見守り目標にされて親となるため。


もし苦手な人のことで頭の中がパンパンでしたらその人に心の中でありがとうと言っちゃいましょう。

そしてありがたく成長させていただきましょ。


大人の階段、今回はこのへんで。

次回は「大人ってなんなのよ」 です☆

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